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中沢健さん2007年4月8日のブログ 「小説の相方、吉川敏夫さん。」

今日は選挙ということで選挙特番などもいくつか放送されますが、21時からフジテレビ系で放送の新報道プレミアAスペシャルでは、僕の相方でもある吉川敏夫さんの特集の放送もありますので興味のある方はご覧になってみてくださいね。

何度か日記にも書いたことありますが、元たけし軍団のクロマニヨン吉川さんとは、一緒に合作の小説を製作する小説ユニット・ナカよしというコンビをやっています。
親子くらい歳の離れた二人が、「こういうの書きましょう。」「こうした方が面白くないですか?」「ここは失敗してると思うよ。」~なんて熱く語り合い、そして実際に二人で作品を書き、駄目だしを出し合い、たまにはお互いを褒め称えることもある・・そんなコンビでした。

昨日の日記にも長々とビートたけしさんが好きだってことを書きましたが、たけしさんマニアの僕は最初は吉川さんと会った時は、もう単純にファンの気持ちで「わー、あのクロマニヨン吉川さんだー!」と大はしゃぎだったのですが、ある時、僕が小説家志望だということを知った吉川さんに「今までに、中沢君が書いた作品を読んでみたい。」と言われ、過去の作品をいくつか読んで貰ったら、「中沢君は絶対に才能があるよ。 実は僕もね、本を書いてみたいとずっと思っていたんだけど、コンビを組まないか?」と言って貰ったのでした。

最初の頃は、歳も離れているし、たけしさんマニアと元たけし軍団という関係でもあったので一緒に創作するにも、僕は自分の意見をどうしても前に出せなくて、吉川さんの意見を尊重する方向で作品創りが進んでいたのですが、そこを少しずつ吉川さんの方から、僕が緊張しないように恐縮しないように、笑わせてくれたり、いろいろ遊んでくれたりして、いつの間にか、僕も「ここは吉川さんのアイディアより僕のアイディアの方で絶対に行くべきです!」とか言えるようになりました。

作品がいくつか出来てくると、出版社へ原稿の持ち込みにも行きました。
小説家としてやっていきたい僕は、もちろんそれまでも文学賞に応募したり、いろんなところに作品の投稿はしていましたが出版社に直接、持ち込みというのはしたことがありませんでした。その辺は何だかんだいって、僕の人見知りな部分もあったんでしょうが漫画と違って、小説はその場で一気に読んで貰うのも難しいし、やはり投稿というかたちが王道だという考えも僕にはあったわけです。
でも、そこは元芸人の吉川さんとしては、客(出版社の人)を前に直接、作品を見せてその反応を見ないと駄目だって気持ちが強かったようです。

そんなわけで、二人で力を合わせて書いた自信作を片手に原稿を見て貰いに行きました。
出版社の人の反応は・・良いところもあるけど、ウチでは出版は難しいかなぁみたいな感じに。

まぁ世の中そんな上手くいかないことは、幼稚園児の時に本を書く人になりたいと思い、小学4年生の頃から出版社や文学賞に作品を送るようになっていた僕にはよーく分かっていましたし、今度はもっと面白い作品を書いてリベンジだ!とそんなに落ち込まずにそう思えたのですが。

でも、この時は単純に嬉しいことがあったからそんなに落ち込まずに済んだという風にも思うんですけどね。

作品の持ち込みに行った際、対応してくれた出版社の人は当然
のように、歳も離れた二人を見て「お二人はどのような関係なのですか?」と質問してきたのですが、それに対して吉川さんは「二人は歳も離れているし、収入も違う。だから、中沢君は年下として年上の自分を敬ってくれるし、僕は中沢君と会う時にはご飯もご馳走するし、こうして出版社に足を運ぶ時等には交通費を出してあげたりもします。でも、二人は上司と部下でもないし、上とか下もなく相方なんです。同等の立場で一緒に小説を書いてるんコンビなんですよ。」と言ってくれたんです。
これは嬉しかったなぁ。その頃の僕は吉川さんに思いっきり面倒を見て貰っていて、吉川さんも言うようにご飯はいつも食べさせて貰っていたし、僕がボロボロの服を着ていたら新しい服を買ってくれたし、暖房のないアパートに住んでいた時はわざわざ電気カーペットを持ってきてくれたり、茨城の実家に帰る時に送ってくれたこともありました・・とにかく、吉川さんには世話になりっ放しだったんです。それなのに、思いっきり面倒を見ている僕に対して、上とか下もない、同等なんだと言ってくれたことが、嬉しかったし、本当にこの人には一生付いていこうと思いましたね。

その何日か後に、吉川さんにうどん屋に連れていって貰った時に、「いつもご馳走して貰ってすいません。」と言ったら、「いいんだよ。俺は中沢君と出会えたおかげで物凄い得してるんだから。中沢健という強力な武器を手に入れたんだから。」と言って貰えたこともありました。
僕も吉川さんもそれぞれ一人一人、個別にも作品の執筆はしていましたけど、吉川さんは中沢健という人間と一緒にいることで、自分の新しい面も出せると思ってくれていたらしいです。
それは僕もそうでしたが、吉川さんに僕が強力な武器だと思って貰えていたことは嬉しかったですね。 だって、自分、基本的には何に関してもあんまり役に立ったりはしないですからね。
もちろん、僕も吉川さんと一緒に作品を書くことで、自分が一人で書く作品とは作風も世界観も違う物を書けるようになっていたことは自覚していましたし。

これは、二人で考えが一致していた部分なんですが、小説家ってのは本を読んで、家でずっと物書きしていちゃいけない、いろいろ活動して、いろんな世界を見て、いろんな気持ちになって、そうしなきゃ自分達の話は書けないと思っていたんです。

去年の11月中旬頃、ウチに泊まりに来た吉川さんと、昼から昼までナカよしの次回作についていろいろと構想を練っていました。
そして、次に書こうと決めたのは、怪獣オタクで24年彼女なし童貞の男と昔はテレビで活躍していた元芸人が出会うところから始まる青春物でした。 ・・まぁ、中盤でどんでん返しがあって、元芸人の方は実は芸人ではなく○○だった~みたいな方向に話は転がっていくのですが、お互いにそれまでの人生で見て来た世界を生かした合作として、プロットを作成していきました。
次こそ、文壇を思いっきり驚かせる作品を書いてやろうぜ! と、二人で燃えていました。

ただ、この後に、吉川さんはそのまんま東さんの選挙のお手伝いで宮崎に行き、報道でも言われていますがもう睡眠もほとんど取れない状態で活動して、東国原知事が誕生した後は、吉川さんは東国原知事の政務秘書となり、今も多忙な日々を送っています。

そんなわけで、ナカよしの新作はとりあえず現在のところ、活動休止中となっています。

この間、吉川さんから電話を貰ってお互いのことから、ウルトラマンの話まで忙しいのでそんなに長時間は無理でしたがいろいろ話をしましたが、ナカよしの二人の共通の考えはいろんな世界を見て、いろんなことを感じて、それを作品にすること。

だから、僕は今は吉川さんには思いっきり東さんをサポートして貰うことが一番だと思っています。
吉川さんがまた新しい世界を見ている間、僕もまた新しい世界や人とたくさん出会っていきますし。

小説もまた一人でいろいろ書き続けますが、発想も構成力も文章力も全て以前よりパワーアップ出来ていくように頑張っていきます。

ナカよしの新作の執筆が始まるのがどのくらい先かは分からないです。 その頃には僕も中沢健で単行本を何冊も出しているかも知れません。
どんなカタチにせよ、久々に吉川さんと知恵を絞って面白い小説を書く時が楽しみです。

吉川さんには今はあまりにも忙しくて無理だけど、余裕が出来てきたら中沢君も宮崎に呼ぶから久々に遊ぼうとも言って貰いました。
まぁ、報道などを見る限りでは僕が宮崎に遊びに行くのはまだまだ先になりそうですが再会も、ナカよし再起動もどちらも楽しみです。


今日のプレミアAの吉川さん特集に関しては、僕も今週の頭にスタッフさんから少し相談も受けていて、残念ながら僕はあんまり役に立てなかったのですが(苦笑)、吉川さんの優しさや凄さ、洞察力や先見性・・他にも挙げていったらキリがない吉川さんの魅力をちょっとでも伝えられる特集になっていたらと思います。

僕との付き合い方でも分かりますが、吉川さんはその人の身分や肩書きに誤魔化されずに人と付き合うことの出来る人だから、政務秘書としてもしっかり県民の皆さんのことを考えて行動してくれるだろうと僕は思っています。
# by nakazawafan | 2008-06-07 18:47

中沢健さん2008年6月1日のブログ 「担当編集さんと小説打ち合わせ」

30日(金曜日)は、講談社BOXで中沢健の担当編集をしていただいているNさんと長時間の打ち合わせをして来ました。
まあ、長時間と言っても実質3時間くらいの打ち合わせだったのですが、今までこんな風にNさんとじっくりと何時間もお話する機会はなかったので、いろいろと刺激を受けました。
2月に「あしたの賞」をいただいてから、あれこれ悩んでいたこと、もやもやとしていた物を作品として昇華するためのキーワードがこの3時間で見えたような感じがしたのですから、これは物凄い意義ある3時間でした。 何せ、3ヶ月悩んでいても、もやもやしていたままだった物を昇華するための方法が見えたのですから。 まあ、方法が見えたと言ってもハッキリ見えたというわけではなく、あくまでも昇華する方法の入り口が見つかったくらいの感じ? ここからまたまだまだ格闘していないといけませんが。

しかし、小説にせよ漫画にせよ、担当編集者というのは大変な仕事なんだなあと思います。
約3時間も僕の死生観だの恋愛観だの聞かされ、あげくに「ジェットジャガーはどうして巨大化したのか?をテーマに小説は書けないものなんでしょうか??」なんて言い出す人間と付き合わないといけないんですから。
大体、小説を書こうと思う人間なんて基本的にどこか間違った人生歩んでいる人なんですから(断言)、そういう人を次から次へと面倒見ないといけないのですから大変です。

しかし、自分は人に同情していられるような余裕のある立場の人間ではないので、とにかくもう自分の中にある感情、自分でも気付いている作品を作る上での自分の弱点などをもうとにかく話しまくり話し合い、その結果、今自分が書くべき小説の尻尾の先は掴んだ気がします。

まあ掴んだと思ったら錯覚だったという経験も過去何度もしてきていますが、錯覚だろうと何だろうと掴めないよりは掴んだ方が良いと自分は思います。

とにかく頭をひねってひねってひねくり回して、思いを吐き出して吐き出して、でも冷静に読者のことも考えて、そして書く、書く、書く、書く、書く、書く!です。
途中悩んだら、Nさんに相談もしつつアドバイスを貰いつつ、また書いて書いて傑作を書き上げます。

また錯覚かも知れないけど、傑作が誕生する予感を僕は5月の月末に確かに感じました。
# by nakazawafan | 2008-06-07 18:32

中沢健さん2007年1月21日のブログ 「本当に頑張っていた人が報われて本当に良かったなぁ。」

冷静に見ていたつもりだったけど、気が付いたら泣いていました。

そのまんま東さんが宮崎県知事に当選しました。

僕は、そのまんま東さんの1番弟子の早川さんとある番組で知り合い、その番組は正直、ギャラがびっくりするくらい安い番組で、だけれど、撮影は連日のようにあって、現場(東京)に毎回通っていたらその頃は埼玉で一人暮らしをしていた貧乏人の僕は一文無し、借金でもしなきゃその番組に関わるのは難しいという状況だったので、惜しい気もするけどこの番組への参加は断ろうかと思ったのです。
でも、それを知った早川さんは「それなら、この撮影の期間中、ずっとウチに泊まっていけばいいよ。」と言ってくれました。
そんなわけで約3ヶ月もの間、まぁ自分のアパートに戻った日もありましたが、僕はずっと早川さんの家でお世話になっていたのです。

考えてみりゃ迷惑な話です。
でも、早川さんはそんな僕にいろんなこと(芸について、たくさんの先輩芸人さんの話、大好きなたけしさんの話等)を教えてくれたり、自分に舞台の仕事を紹介してくれたり、いろんなことをしてくれました。
童貞だった僕に(これは今でもですが)、女性への接し方を教えてくれたりもしました。仕事の先輩への接し方もたくさん教わりました。
・・まぁ、あんなにいろいろ教わったのに、自分は未だにどちらも下手くそですが。

僕がストリップの舞台に立つことになったのも、早川さんの紹介でしたね。一緒に裸の女性を見に来たお客相手に、自分達は笑わせたいんだとコントをしたり、トークしたりもしまそたね。

早川さんの紹介で、そのまんま東さんとも会えました。幼い頃から、たけしさんファンだった僕は、たけしさんの1番弟子である東さんに会って緊張して緊張して、ろくに話すことも出来ない状態でしたが、そんな僕を東さんはいろいろいじってくれて、弟子の友達という微妙な関係性の僕にご飯をご馳走してくれたり、カラオケに連れていってくれたりもしましたね。

でも、どんなに遊んでも東さんは帰ったら勉強をしていました。僕や早川さんが疲れて寝ちゃっている間も一生懸命、本を読んだりレポートを書いておられました。

東さんの周りにはいろんな人がいましたが、早川さんの次に僕が仲良くなれたのは元たけし軍団(たけしさんの9人目のお弟子さんでした)クロマニヨン吉川さんでした。
自分の父親くらいの年齢の吉川さんと僕は、一緒に怪獣の話や馬鹿な話、急に人生について語り合ったりしてしまいましたね。

実は小説を書いてみたいと思っていた吉川さんは、僕がずっと小説を書き続けていることを知って、「一緒にコンビを組んで小説を書かないか?」と言ってくれました。
それ以来、小説家中沢健として1人で、小説ユニット・ナカよしとして2人で作品を執筆するようにもなりました。

早川さんと吉川さんは茨城の実家まで遊びに来てくれて、庭でバーベキューもしましたね。うちの両親に気を使って、いつもよりも会話が健全な感じになっている二人を見るのは楽しかったです。


今回、東さんが立候補するということで、先月の中旬くらいから早川さんと吉川さんも宮崎入りしてしまったため、やっぱり寂しかったです。


ところで、僕は政治に関しては結構クールに考えているところがあって、たとえば身内が政治に立候補したとしても、素直に応援しようとは思えません。
政治っていうのは、そういう知り合いだから、友達だからみたいな気持ちで票を入れちゃ駄目だと思うからです。実際、実は以前に僕の友人のお父さんがある選挙に立候補したことがあったのですが僕は投票しませんでした。

だから、東さんは素晴らしい人だと思うし、自分の大好きな人達も東さんを応援している けれど、僕自身は東さんが知事になった方が良いのか、悪いのかなんてことは分からなかったんです。

でも、当選の知らせを聞いた時、僕は気が付いたら泣いていました。
何だかんだ言っても、心の中では、やっぱり東さんが選挙に勝つことを僕は望んでいたようです。
今回の当選については、いろいろ批判的な見方をしている人も多いし、自分も馬鹿だから難しい政治の才能の話とかは分からない。ただビックリするくらい優しい、人として素晴らしい人であることは僕も保証します!

東さんのメルアドは知らない(誤解されてる方もいますがそのくらいの関係なんですよ、実際のところ。珍しく東さんが用がある場合は、東さんから中沢君も呼んであげたらって言ってるから来なよと,早川さんか吉川さんからメールが来るというのがありました)ので、早川さん、吉川さんにおめでとうのメールを送っておきました。

さっきニュースを見たら、東さんが仲間達と万歳している姿の中に、2人の姿も見えて、何かまた泣きそうになってきちゃいました。

とにかく、おめでとうございます。
東さん、知事として頑張ってください!!



そして、早川さん。これからも芸人として頑張ってください。また同じ舞台にも立ちたいです。

吉川さん、これから傑作小説をどんどん執筆していきましょうね。
# by nakazawafan | 2008-06-07 18:31

中沢健さん2006年6月7日のブログ 「小学生の時に書いた詩」

僕が小4の時に書いた詩です。
これからは、たまにこうやって以前に書いた詩とかmixi上で公開していくかも知れません。小説はmixiで公開するの無理だし・・。
完全な自己満足なんで、無理して読まなくていいっすよ(笑

それにしても・・いかにも小学生~って感じの詩だなぁ。


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道のお話 
     
      中沢健


昼の間は、
あんなに静かでいた道が、
夜になるとおしゃべりを始めるんだよ。



お月様もそれを聞きたくて
出てくるんだよ。


タンポポだって

ツクシだって

みんな、みんな、
体を傾けて聞くんだよ



朝つゆが光ってるのはね、
悲しい、悲しい話を聞いた時の、

涙なんだよ。
# by nakazawafan | 2008-06-07 18:24

第3回講談社BOX新人賞(流水大賞)で、あしたの賞を受賞しました!!

いろんな所で「作家です」とか「小説家です」と言う度に首を傾げられてきている中沢ですが、様々なエンターティメントの中でも小説への思いは大きく、僕の中では怪獣と小説が中沢エンターティメントの二本柱だという考えはもう小学生の頃からずっと変わっていません。
小学生の頃から休み時間や授業中は小説を書き続けていて、いつも馬鹿なことして先生に怒られているし、成績も良くないし、いじめられているところもよく見掛けるけど、文章だけは上手と周りからは結構思って貰えていたようです。
作文コンクールとか読書感想文で賞状をよく貰っていたし、そういえば成績も国語はそんなに悪くなかった(漢字はいまいちだったけど・・)。
両親も僕が「歩く雑誌になる。」とか「中沢怪獣を世の中に席捲させる。」とか言った時よりは「俺は作家になりたいんだ。」と言った時のが遥かに反応が良かったものです。
地元の友人でも「パフォーマンスとか怪獣とかは辞めて、タケちゃんは文章一本でやった方がいいんじゃないの?」と言ってきてくれる人は多かったです。
まぁ、過去のことを思えば、僕がやってきた自分流のエンターティメントで唯一、それなりの評価も貰っていたのが『文章』であったのは確かです。
小、中学生の頃は作文で何度も賞を貰って、そのうちのいくつかは結構大きい賞で新聞で大きく紹介して貰ったり、文部大臣賞なんて物もいただいたし、科学技術庁長官からお祝いの言葉を貰ったこともあった。
高校生になると、自作のエッセイが小学4年生用の道徳の教科書に掲載されるという光栄な機会までいただいた。

そういった経歴もあったので、地元の友人も僕のやっていることで文章だけは認めてくれていたし、作家としてならやっていける可能性も0ではないんじゃないかと思ってくれたようだ。
僕自身は面白い表現、エンターティメント全般に興味はあったので中沢怪獣をどんどん作り、読みたいとも言われてないのに漫画を描いて毎週配ったり、誰も協力してくれないので怪獣人形を自分の手で動かして、音楽はアカペラでたった一人で怪獣映画を作ったり、友人を誘って歌を作ったり、じゃんけんで負けたんだから相方になれ!という無茶な理由で友人を相方にして漫才をやったりもしていた。 が、それらは周囲の誰にも理解されないまま、上京した。

ただ、逆に言うと上京してからの僕は地元では理解されなかった表現の方で評価して貰う機会のが多くなった。
パフォーマンスの様子がスポーツ新聞で紹介され、バラエティー番組に時々呼ばれるようになり、出演DVDがTSUTAYAのお笑いコーナーに並べられた。
また、地元にいる時は、「いい加減卒業しなよ。」と言われることの多かった怪獣好きな面が役に立つ機会も増えた。怪獣オタク、怪獣評論家としてイベントやテレビに出させて貰い、フィギュア王でコラムの連載も始まった。

また地元にいた時は、誰もが将来世に出ることなんてあり得ないと思っていた中沢怪獣がクレーンゲームのぬいぐるみとなり、まだ発表は出来ないけど今も中沢怪獣を使った新企画が動いている(僕の父は二十歳を過ぎてワケのわからん絵を描いている息子を見て本気で心配した、まあ気持ちは分かる)。

そんな、いろんな僕なりのエンターティメントが少しずつではあるが活躍できる場所、居場所を見つけていく中で、小説はなかなか前面に出ることは出来なかった。
僕自身は自分の本が並ぶことは、中沢怪獣にとっての商品化と並ぶくらいの大きな夢であったし、何よりも自分自身では歩く雑誌としてのパフォーマーである中沢健や舞台上の自分、バラエティー番組の自分よりも自作の小説のがエンターティメントとして良く出来ているとも思っていた。
しかし、エンターティメントは独りよがりではいけない世界だ。面白いと周囲の人達も思ってくれたから世に出られる。イベントや雑誌、テレビにちょっとずつでも出させて貰えているのは、幸いにも面白いと思ってくれた人がいてくれたからだ。
「僕は小説家です。」なんて言いながらも、小説が世に出ることはなく、地元の友人からはテレビでの僕を見る度に「小説はもう辞めたの?」なんて聞かれた。
もちろん、僕はずっと小説は書いていた。使っている時間で言えば、イベントやテレビのネタを考えるよりも遥かに小説に使っていた時間のが多かった。中沢怪獣もレオさんと出会ってからは使う(考えたり、作業する)時間は増えたが、それまでは僕の創作作業の八割くらいは小説に使っていたことは間違いない。
でも、エンターティメントの世界で大事なのは過程じゃない、結果だ。どんなに時間を使って、睡眠時間を削って頑張っても、つまらなくちゃ、誰にも認められないんなら意味はない。 結果は駄目だったけど頑張ったんだからいいじゃないなんて言葉は僕は大嫌いだ。 ま、他のことならその言葉にも納得出来るのかも知れないけど、エンターティメントの世界ではその言葉は認めたくなかった。
これまでに何度か自分の小説に自信をなくしたことはまぁ、あった。思えば自分が過去に評価されたことある『文章』も作文や詩、エッセイ等ではあったのだ。当たり前だが、作文もエッセイも小説も違うものだ。作文が出来たからって小説も出来るということにはならないのだ。お笑い芸人としては最高に面白い人がコメディー映画を撮ったからって決して最高に笑える映画にはならなかったりするように、幼い頃の僕は自分は作文も褒められるし、小説家としても成功出来る才能があるんだと思い込んでいた時期があった。 その勘違いに気付いたのは大学生くらいだったろうか・・随分と掛かったもんだ。

それでも、自分は小説というエンターティメントが好きだったし、諦めたくなかったから書き続けた。 いろんな賞に落選する度に落ち込んだが、だんだん感覚も麻痺して落選で受けるショックも小さくなってしまっていた時、講談社さんから電話があった。
「第3回講談社BOX新人賞で中沢さんの作品が受賞しました。」
その電話は僕が録画しておいたゲゲゲの鬼太郎のビデオの鑑賞中にあった。
鬼太郎の鑑賞中に見知らぬ番号から電話があって、最初はやや不機嫌モードで応対してしまったが、すぐに不機嫌モードは吹き飛び、喜びと・・そして悔しさが全身を包んだ。

何故、悔しさも感じたのか? それは、僕が受賞した「あしたの賞」というのは、「大賞」「優秀賞」に続く3番目の賞で、「あしたの賞」受賞作品は、そのまま作品が単行本化されたり、雑誌に掲載されるようなことはないのだ。
ただ優秀賞まで惜しい才能が感じられる作品を書いたということで、あしたの賞を受賞した人には担当編集者の方がついてくれて、一緒に今後の展開、今度こそ単行本化を狙っていくということなのです。 
だから・・やっぱり本音を言えば悔しい。 自分の小説が本になるにはまだ何かが足りない。
でも、もちろん「あしたの賞」にまで残る作品であったことを嬉しく思ったのも確かです。
何故ならお世辞でも何でもなく、本音で今、一番面白い小説を出版されている方々が作った文学賞がこの講談社BOX新人賞であると僕は思っていたからです。
もともと、京極夏彦先生がどの文学賞の規定にも合わない作品を書いてしまったため講談社に原稿を持ち込みしたところ、こんな凄い才能がいたのか!と驚き、規定を設けない他の文学賞では発見出来ないような才能を見つけようということで始まったのが講談社メフィスト賞でした。
この講談社メフィスト賞の受賞者がホントに最高な人達ばかりでした。佐藤友哉先生、舞城王太郎先生、辻村深月先生、殊能将之先生、西尾維新先生・・正直に言うとここ3年くらい読んで面白かったと感じた小説の半分くらいはこのメフィスト賞受賞作家の皆さんの作品なんです(メフィスト賞創設のキッカケとなった京極夏彦先生と佐藤友哉先生の作品が特に大好きです!)。そして、このメフィスト賞を作られた方々を中心に新しく作られた賞がこの講談社BOX新人賞なのです(たぶん)。
僕の大好きな最高な作家さんを発見して育ててきた人達に、作品を認めて貰えたことに感動しないわけがありません。

しかし、やはりまだ「あしたの賞」です。普通、あしたというのは翌日のことですが、この「あした」はまだまだ先のことでしょう。
しかし、中沢怪獣が安斎レオさんという頼もし過ぎる人との出会いにより、世に出ていくことが出来たように、担当編集の方と一緒に中沢小説も羽ばたかせてみたい。 いや、羽ばたかせてみせます!
まだ担当編集の方とは電話でしかお話していないんですけど(来週くらい講談社で初顔合わせとなると思われます)、良いコンビになって文学史を変えるような挑戦をしてやりたいと思っています。

今年の中沢エンターティメントは本当に激震です。
皆様も是非、小説家中沢健の活躍にご期待ください。 ・・いい小説、いっぱい書きますよ。
戦います!!

講談社BOX新人賞・公式サイト(受賞者・受賞作品の発表がされています)
http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/award.html
# by nakazawafan | 2008-06-07 18:16